Cigarette anesthesia(ペキ)


闇に映える、くゆる白紫の煙と、鼻につく特有の香。
現在健康にして健全そのものであるこの家に、似つかわしくないもの。
――煙の先を目でたどれば、それははたして縁側にいた。

「……何をしている」

そう、赤い青年が常である温度のない声で尋ねれば。

「……何って、見れば分かるだろ?」

青い青年は、常ではない無感動な声で返す。
その視線は、外の暗闇。
足をけだるげに投げ出して、口からは白煙をほうと黒に放す。
煙が風に流れて身体にぶつかり、アーチャーはわずかに眉を寄せた。

「……やめろ。 ヤニや匂いが付く」
「だから、匂いがつかないようにこうして外に向けて吸ってんじゃねぇか」
「……ここでも、障子や壁には付く。 どうしても、と言うなら庭か外で吸って来い」

冷たく放たれた言葉に、ランサーは舌打ちをし、

「……わかった」

そう答えると、さっさとつっかけを履き、ふっと言う軽い呼気とともに屋根上へと消えた。
聞き分けのよさに、少しの違和感を覚える。
彼の喫煙を見るのは初めてだが、実は愛煙家だったのだろうか。
彼の故郷に、それがあるとは思えないが、同じようなものならば存在していたかもしれない。
アーチャーはここ一年の記憶を廻らせる。
彼の衣服にシガレットの匂いが付着していた事は少なくない。
彼の行動範囲と喫煙空間は、切っても切り離せないものだ。
しかし、彼自身の口元からその残り香がした事は、ない、はずだった。
だけれども、事実として、彼はそれを吸っていて。
初めての様には、到底見えなかった。
煙草をはさむ仕草が慣れた手付きに見えたこともあったが、それ以上にその存在に似合っていた。

――吸うのを、遠慮していたのだろうか?

面と向かって喫煙をするなといった覚えは、アーチャーにはない。
が、現在のこの家にとって、喫煙はあまり歓迎される状態でない事は確かだ。
なぜなら、この「衛宮」家にとってその行為は、あまりにもある人物を想起させるものだから。

その事を、ランサーは知っているのか、いないのか。
アーチャーが考えた所で、わかるはずもなかった。






軽く足を鳴らし、跳ぶ。
屋根の上には、天を見上げながら未だ煙草を吸うランサーの姿。
上がってきた影を認めると、彼はその火をゆっくりと消しにかかる。
それを、軽く手で制止する。

「いや、そのままで構わない」
「……そうか?」

なら遠慮なく、と煙を肺に満たしにかかる男の隣に、アーチャーも腰を下ろした。

「よく、吸うのか?」
「いいや? ごくたまに、だな。別に美味いとも思わねぇし」
「では、何故だ?」
「……さぁ? 理由なんかねぇな。 ホントに何となく、吸いたくなるんだよ。
 まぁ、珈琲なんかと一緒だ。 最初に口にした時は美味いと思わなくても、ふとした時に又飲みたくなる……。
 ああ、もちろん今じゃ珈琲は美味いと思うぜ? でも、美味いと思うようになるまでには」
「慣れるだけの時間が必要、だな。 味覚や嗜好というものは、慣れを端に生じるものだ」
「そう言う事。
 で、コレは突然吸いたくなるけど、でもまだ美味いと思うほどじゃあない」

しかし、そう言いながら煙草を噴かす姿は、重度喫煙者のごとく実に自然体だった。
それもまた、らしいなとアーチャーは思う。

「まぁ、コレで最後にするから、な。悪かった」
「いいや、別に謝る必要も最後にする必要も、ない。 ……元々、この家は禁煙ではなかったしな」

そう、この家が禁煙であるはずなど、ないのだ。
最初の家主がいた頃は、始終匂いが充満していて。
アーチャー自身も、その匂いに包まれて眠っていた。

壁が汚れるだの、匂いがつくだのは、建前に過ぎない。
――自分の、勝手な感傷だ。
それを押し付けている事に対し、アーチャーは居心地の悪さを感じた。

「……煙草、まだ持っているか?」
「ん、あるぜ?」
「……一本、くれないか?」
「お前も、吸うのか?」
「ああ、ごくたまにな。 別に、美味いとは思わんが」

アーチャーは差し出されたシガレットケースから煙草を一本抜き取り、軽く口端に咥える。
火は、と尋ねる前に、火の付いた煙草を同じく口の端に加えたランサーの顔が接近していた。
彼のしようとしている事が分かり、アーチャーも咥えた先端を彼の火に近づけた。
一瞬の静止。
火は無事、二つに分かれた。

「全く、面倒な手を使う」
「イヤ、一度やってみたかったからな。
 うまくいって良かったぜ。失敗したらかっこ悪ぃ」

そういって紫煙を吐きながら、にやりと笑う。
その笑みを尻目に、アーチャーも軽く煙を吸い込む。
強い苦味と、微かな甘味。随分と、「キツイ」煙草のようであった。
深くは吸い込まず、そのまま吐き出す。
ランサーの煙と二条、帯が風に流れる。

「意外だな。 お前は、煙草嫌いだと思ってた」

紫煙を見ながら、ランサーがポツリと呟く。

「確かに、あまり好きではないな。 舌と思考が麻痺する」
「じゃあ、何で吸うんだ?」

丁度、先ほどとは入れ替わった質疑応答。

「そうだな……。強いて言うなら、精神安定のためか」
「……それがなけりゃ安定しないくらい、吸ってたのか?」
「まさか。 月に一本、あるかないか程度だ。
 一種の自己暗示のようなものだったな。
自身の今いる位置と目指すものを確認するための儀式、と言った所か」

自分が継いだ理想を、思い出すための行動。
彼の顔を、その想いを、忘れないための習慣。
――この地に現界するまでは、そんな記憶すらも磨り減っていた。
その事実に、守護者は氷が背に刺さったような感覚を覚えた。
同時に、磨り減ったはずの記憶が蘇った事に対する、暖かさも。

「……で、今吸ってんのは?
 自分の道がわからねぇからか?」
「……そんな深い意味などない。
 ただ、君が吸っていたら、吸いたくなった。それだけだ」

それは、アーチャーの本心からの一言。
生前、ただ「吸いたい」と思って喫煙したことなど彼は無かった。
養父の理想を刻み込み、晩年には自身を鋼にするための自己暗示である、喫煙というその行為が。
――このような穏やかな気持ちで行える日が来るとは。

ふと、アーチャーが視線を感じ隣を見れば。
大分短くなった煙草を手に、ランサーが口の端を吊り上げていた。

「何だ?」
「イヤ、似合うな、煙草、って思ってな」
「……そういうお前こそ、重度の喫煙者のようだぞ?」
「そうか?
 まあ、ちょっと、癖になりそうだけどな」

そういって男臭く笑う。

「別に、健康に害、などと言うものは英霊には当てはまらないだろうからな。
 こうして、屋外で吸う分には一向に構わん」
「着ている物に匂いが付く! とか言わねぇのか?」

機嫌を伺うようにアーチャーを覗き込み、しかし顔は笑いながら、ランサーは尋ねた。
煙草を口から離し、近づいてきた顔を見据えながらアーチャーは答える。

「そんなことを言っていては、お前を家に一日中監禁せねばならんだろう?」
「ああ、それは違いねぇな」

くくっ、と笑う青。
それにつられて口にわずかな笑みを浮かべ、赤は続ける。

「――それに。
 私はこの匂いは、割と好きなようだ」

養父の匂い。かつての衛宮家の匂い。
でも今は、彼の匂いだ。
アーチャーは不思議と抵抗なく、そう思えた。

「……なら、こうしてたまには一服、どうだ?」

さらに顔を近づけ、その体躯で圧し掛かるようにして近づく口元を。

「……たまならば、な」

赤い青年は呟いて、受け入れる。

するりと口内に侵入してきた舌先が、アーチャー自身のものと絡む。
ぴりり、とした苦味を感じた。
触れる髪からこぼれる香と、この味と。
まるで、こうして同じものを分け合っているかのようだ、と。
アーチャーは思った。



もう、道に迷っても、大丈夫。
彼と、彼女達がいるのだから。
養父の残り香が無くとも、歩いていける。


懐かしく、けれど新しい匂いを抱いて。
赤い青年は、儀式でしかなかった過去の行為に、別れを告げた。




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