書読み裏を読む事 (椎名)
「むー…」
だいぶ日が傾き始めた夕暮れ時。
遠坂家の居間のソファーに身を埋め。
分厚い本と睨み合いながら、俺はどこぞの誰かさんよろしく、眉間に皺をよせて小さく呻いていた。
遠坂の弟子になって以来、俺は暇を見つけては遠坂家秘蔵の魔術書に進んで目を通すようにしていた。
それはいい。
しかし問題は、初心者向けの簡単な物はともかく、少しレベルが上がるととんでもなく難易度が高くなるという事だった。
今読んでいる本も、意味の分からない用語や聞いた事もない単語の羅列が、びっしりと羊皮紙の薄茶けた紙面を埋め尽くしているのだ。
「見た目からして難しそうだと覚悟はしてたんだけどなー…」
などと呟き、降参とばかりにぱたんと本を閉じてテーブルの上に置いた。
「なんだ?もう諦めたのか情けない。」
いつの間にそこにいたのか。
アーチャーは相変わらず人を小馬鹿にしたような顔で部屋の片隅、テーブルから少し離れた場所に姿を現した。
こいつが俺の前に姿を現す時は、だいたい俺に皮肉を言うかからかう時と相場が決まっている。
しかもそのためだけにわざわざ実体化してくれるのだから質が悪い。
「そういうけどな。分からない単語だらけでまるで人語じゃないみたいんだぞこの本。」
おまけに遠坂家に現存する書物、特に魔術書なんかはほとんどがドイツ語表記の、しかもかなり昔に書かれたのか、古くて状態も決していいとは言えないものがほとんどだったりするのだ。
遠坂に魔術と平行してドイツ語もびしびし叩き込まれている最中の今の知識では、とうてい解読不可能というものである。
「お前にとっては、だろう。己の未熟さを本のせいにするなたわけ。」
「う…うっさいなー!」
半ば開き直って、テーブルの上に置いてあった紅茶のカップを手に取って――
「って。なんで紅茶が!?」
もちろん、俺が淹れた物ではない。
見上げれば白々しくも人を見下ろす赤い奴。
…あんまり考えたくないけど…
「まさかこれ、お前が?」
アーチャーはふん、とあさっての方を向いて腕を組む。
…なんだ…ひょっとして気遣ってくれたのか?
「確かにそうだが。別にそういうつもりで淹れたのではない。」
いつもの通りににやりと笑い。
「気にするな。いつまで経ってもお前の腕が上達しないのでな。手本を見せてやったまでだ。」
前言撤回。
こいつは俺に限って気を使う様なマネはしない奴だった。
「悪かったな。どーせティーバックより旨く淹れられねぇよ!」
嫌味には嫌味で返しながらも、淹れてもらった物は有り難く頂くのが礼儀というものだろう。
俺は紅茶を一口すすり…
「だー!笑うなー!!」
俺が声に出さずとも…否。あえて言うものかという意思とは裏腹に、顔は感想を正直に物語っていたのだろう。
カップを持ったまま硬直した俺を見て、アーチャーは鬼の首でも取ったかのようにくつくつと笑い出した。
「くく…いや、お前の反応があまりに馬鹿正直だったんでな。気に触ったのなら失礼した。」
顔を手で覆って笑いを噛み殺しながら心にもない謝罪をされても余計に腹が立つ事も承知で言っているあたり、こいつの意地の悪さは本物だ。
「…取りあえず、紅茶のお礼はさせてもらうし参考にもさせてもらうから。用がないならどっか行け!」
アーチャーに馬鹿にされたのも癪に障って、悔しいからもう一度テーブルの上に置かれた魔術書に挑もうと、俺はカップを置いて本を手に取った。
「ふむ。まぁせいぜいがんばるのだな。言っておくがその程度解読出来ないのではたかが知れているぞ衛宮士郎。」
言いたい事だけ言い捨てて、アーチャーは霊体化して姿を消した。
「…ふー…」
奴の気配が消えたのを確かめて、一つ大きく深呼吸すると、俺はもう一口、カップを傾け紅茶を啜った。
「…しかし旨いな…これ…」
カップをまじまじを見つめながら。
「…飲む人の事を考えてたりしないと、ここまで旨い紅茶って淹れられないよな…」
などと考えて。
やっぱり気を使ってくれた…のだろうか…
もしもこれが、奴なりの激励のつもりだったのだとしたら…?
そこまで考えて、頭が火照りそうになってしまった。
首を振って、わーにん、わーにんと脳内が警告を発するのをやり過ごし。
「あう…集中しよう…」
再び本へと視線を落とした。
あの本には見覚えがあった。
自分もかつて、あの本には酷く苦戦したのを、なぜか思い出し。
思わず。
らしくもない事をしでかしてしまったが。
『飲む人の事を考えて…』
…まったく…
霊体化しているとはいえ、人がまだテーブルの向かいのソファーに腰掛けたままでいるのにも気付いていない程に普段は救いがたいほど鈍感なくせに、なぜこういう時ばかり勘が働くのか…
しばらくすると、あろう事か衛宮士郎は寝息を立て始めてしまった。
難しい本を読んでいる時には、不思議と眠くなってきてしまう物ではあるが…
「情けない…」
ぽそりと、自分にも聞こえない程度の声で呟いて。
まぁ先日は不覚にも、自分が嫌という程寝顔を見られてしまったのだから、と。
仕返しとばかりに、奴の寝顔をしっかりと観察してやることにした。
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