【呼称の故障】     BYペキ







玄関の引き戸を叩きつけるように開く音がした。
邸内に響きわたった乾いた音はそこそこの大きさだったが、凛はことさら音源を確認しようとは思わない。
衛宮家の現在の住人には乱暴に扉をあける輩もいるし、取り立てて珍しいことではないからだ。
そもそも誰が帰宅したにせよ、一度は居間に顔を見せるのが慣例なのだから、わざわざ見に行くまでもない……のだが。

「……あれ、士郎?」

どたどたと早足で居間にあがり、そそくさと買ってきた食材をキッチンに置き、又あわただしく出ていく。
その後ろ姿はまさしく、家主の衛宮士郎だった。
居間にいた凛を見向きもせず、しかも食材を冷蔵庫にしまいもしないというのは、あまりにも異常だ。
何かあったのかと立ち上がりかけ……

「む、奴め、食材を終いもしないとは」
「ありゃりゃ、あれは重傷ね」

居間を出ようとしたところで、凛はアーチャーと大河に出くわした。
アーチャーの手にも同じように食材の袋が下げられている。どうやら士郎と共に帰宅したらしい。
アーチャーは表情を動かさずにそのままキッチンへ。
大河はクスクスと楽しげな笑いを浮かべながらアーチャーの後に続きキッチンに入った。
手伝おうというわけではなく、手を洗うためなのは明白だ。
食材の処置をアーチャーに任せ、さっさとキッチンを出てきた大河は、そのままちゃぶ台にとりつき卓上のせんべいに手を伸ばす。
その落ち着きから見るに、士郎のあのあわただしさは別段深刻なことではないのだろう。
しかし、だからといって凛が気にならないわけはない。

「あの、藤村先生、なにかあったんですか?」

ん? とせんべいを頬張りつつ振り返る教員に、内心彼女を先生と呼ぶのをためらいつつも、「士郎のことです」と続ける。

「大分あわててたみたいですけど……」
「ああ、あれねー。士郎ってば、たんに恥ずかしがってるだけだから。ちょっとアーチャーさんとからかいすぎたかしら?」
「からかった……って」

からかった程度で、ああも挙動がおかしくなるだろうか。
凛自身が思うのも何ではあるが、士郎はここ最近は大分からかわれ慣れている。
連日の舌戦のおかげで鍛えられたせいか、最近ではアーチャーや凛を口で負かしてしまうこともあるほどで、それこそちょっとやそっとで凹んだりはしないはずなのだが。

「やぁ、それがさぁ……」

カラカラと笑いながら、大河は凛のそばに寄る。
内緒話をするように声をひそめるポーズ――あくまでもふりだけで、その実声は全く潜められていない――で、彼女は楽しそうに事の次第を語った。




士郎がアーチャーと待ち合わせ、帰り際に買い物をしていた時のこと。
買うものを分担し別行動をしていたアーチャーが、大河と、その時たまたま大河と共に帰宅していた女性ながらに学年主任を務める教師に鉢合わせたのだ。
アーチャーと学年主任は、以前士郎の面談時に一度顔を合わせたことがあった。
三者面談の際、今までは大河であったり藤村組の誰かであったりとやり過ごしてきたのだが、しかしこの三年の大事な時期の面談、大河が例年通り参加するのも難しく、かといって藤村組の誰かに士郎の大事な進退の話はまかせられない、ということになり、結果アーチャーが出席したのだ。
そもそも士郎とアーチャーの関係を何やかやとごまかすため、一般人には「士郎が衛宮の養子になる前の血縁で、ハーフ」などと言っていた事が同一人物二人による三者面談につながったわけだが、閑話休題。
ともかく、学年主任は面談の際、異国じみた風貌ながらも礼儀を重んじ、しっかりとした観念をもつアーチャーに大変好感を抱いたらしく、今日ばったりと店の前で会った際も極めて朗らかにアーチャーに声をかけた。
もともと学年主任は人の好い女性を絵にかいたような人物だ。明るく、優しく、時に厳しく。そして何よりも話好きで、一度始まると長いことでも有名だった。アーチャーとしても彼女のような人柄は好ましかったし、なにより大河もいる。ついついと会話に乗り、結果。

「士郎がさ、後ろで困ったようにしてるわけよ」

買い物が終わったのであろう、士郎がこちらに声をかけるタイミングを計れず、立ち尽くしていた。
学年主任の話は、とにかく長い。そしてなかなか引き下がらない。
迂闊にその場に交じれば、会話に取り込まれ帰れなくなる可能性は低くない。
立ち尽くす少年は、それを危惧して声をかけるのをためらっていたのであろうことと、もうひとつ。

「どうやら、アーチャーさんが学年主任と仲良さそうに話してるのがよっぽど驚きだったみたいでさ。
 なんとかしてアーチャーさんを引き離したかったんじゃない?」

……学年主任は、30代も後半ながらハキハキとした物言いが若々しい女性だ。しかも、独身の。
そのせいかどこか結婚を焦っているような節があり、妙齢の男性相手では態度が特に違うことでもまた、有名で。
それをアーチャーは知って(あるいは覚えて)いるのか、否か。
ただ、遠目からはひどく自然に会話しているように見えただろう。
傍で会話に適度な相槌を入れていた大河でさえ、アーチャーの対応は普段の彼よりも大分好意的に感じられたのだから。
もっとも、相手は自分の身内の通っている学園の教職員なのだから、アーチャーが丁寧に接しているとしても不思議ではない。
ないのだが。

「もう、士郎ったらてんぱっちゃってるのが遠目からでも見え見えでねー。このままじゃアーチャーさんを学年主任に取られちゃう!
 早く声をかけないとこのままじゃまずい、でもどうやって声をかけようって悩んだ結果に」


『兄貴!』


「兄貴、ですか?」
「そそ。あにき。ほら、士郎ってアーチャーさんのこといつも名前を呼び捨てで呼んでるじゃない? でも学年主任には細かいことすっとばして、『衛宮の養子になる前の生き別れの兄』って説明してたもんだから。名前で呼んだらまずいと思ったんでしょうね」

それで、混乱しながらもアーチャーをこちらに取り戻すべく必死に考えた時にぽっと出てきた呼称が『兄貴』だったのだ。

予想外の呼びかけに会話を途切れさせ、目を見開き振り返るアーチャー。
しかし、その言葉に一番衝撃を受けていたのは、口にした当人自身だったようだ。
駆け寄ってくるでもなく、仏頂面のまま立ち尽くす少年。
士郎に近しい人物にならば、それの顔が「やってしまった」時の顔だと、気付くのだが。

「士郎が動く気配ないもんだから、アーチャーさん慌ててフォローして、結局そこでお話は終わりになったの。
 でもそのあとね……」

アーチャーと、ついでにと別れた大河がこちらに歩き始めてようやく、士郎は正気を取り戻した。
慌てて学園主任に会釈をするが、先ほどの失態は消えてはくれない。
会話の途中に遠方から一方的に声をかけて、しかも挨拶もせず立ち尽くすなど、礼儀上論外の態度だ。
それはその場でアーチャーや大河に叱責を受けてもしょうがない行動で、それだけでも士郎にはかなりの自己嫌悪に陥いるに十分だというのに……。

三人は合流し、その場を離れるため歩き出しす。
しかし、学年主任が見えなくなってからしばらくしてもなぜか、誰も口を開かない。
士郎は口を引き結んで下を向きながらただ歩みを進め、年長の二人はその後ろを同じく黙したままついていく――口元に、隠しきれない笑みを浮かべながら。

『兄貴、か』

並んで歩く少年の肩がびくり、と大きくひきつったように動く。

『兄貴、でしたねぇ』
『まさかそう来るとは』
『んふふー』
『……なんだよ。なんかいいたいことがあるなら言えよ』

こちらを振り返らずひたすら足を進める弟分に、姉代わりと兄代わりは顔を見合せ、悪戯な笑みを浮かべた。

『いや、何。そういう呼び名は初めてだからな。少々驚いただけだ』
『私のこと、学校でもたまにうっかり藤ねぇって呼ぶくせに、アーチャーさんのことはいつも呼び捨てですものねー』
『ああ、兄としては悲しい限りだったわけだが……ふむ、兄貴か』
『おにいちゃんでも、にいさんでもなく、兄貴ですねぇ』

にこにこにこ。
背後を振り返らずとも、少年には二人の表情が手に取るようにわかった。
後ろを歩く二人にも、士郎の耳と首筋が、どんどんと赤く染まっていくのがわかる。

『……おい、アーチャーも藤ねぇも、いい加減に……』
『おや』
『あら』


『もう一度、兄貴とは呼んでくれないのかね?』



『――――っっっっ!!!!』




「そしたら、ばびゅーんって走ってっちゃってねー。いやぁ、耳真っ赤よ」
「あー、それは――」

たしかに、それは。

「かわいいですね」
「でしょ」

実に惜しい。自分もその場にいれば、どれだけ楽しかったことだろう、と素直に凛はそう思った。





買ってきた食品も、当番である夕飯の支度も放り投げ、士郎は数少ない私物である机の上につっぷしていた。
完全に轟沈、本日中の戦線復帰は絶望的、穴があったら掘って埋まりたい気分だ。
遠く聞こえる居間の談笑。それが自分の「あの」醜態を笑い物にしているようにしかきこえなくて、その考えの卑屈さとあの時の自分の愚かさに死にたくなってくる。
ああ、もしかしたら過去の自分に殺意を覚えるのは案外こんな事の積み重ねなのかもしれない、等と若干物騒なことを考えたところで。
士郎の耳は戸の開く音を聞いた。

「夕飯も終わる時刻だが。食べないつもりか」

かけられた声に、もうそんなに時間がたっていたのかと驚くが、かといって士郎は顔上げられない。一番顔を見せたくない相手なのだから。

「……」
「……やれやれ、声すら出せなくなったのかね、私の【弟】は」
「!!」

がばり、と反射的に起き上がり、してやられたと内心舌打ちしつつも、士郎はアーチャーを睨みあげる。
しかし睨んだ相手は、士郎の予想していたようなこちらを馬鹿にするような表情ではなく、平素の唇を引き結んだ……いや、若干さびしげな面持ちそしていた。
怒りの矛先に出鼻をくじかれた士郎は、のど元まで出かかっていたはずの罵詈を飲みこみ、結局。

「……夕飯は今日はいらないから、かたしておいてくれ」

等と、至極普通の対応をしてしまう。
アーチャーはその言葉にため息をひとつつくと、するりと士郎のそばに寄って膝をつき。

「……悪かったな」

と、士郎の頭をひと撫でした。
士郎は頭をなでるという行為の子供をなだめるような扱いに若干の不満を抱いたが、それ以上にアーチャーがこれほどまでに素直に謝罪を口にしたことに驚きを隠せない。

「そこまで気にするとは思わなんだ」

言いながらわずかに苦笑する。その表情は、やはり確かに寂しげで。

「兄と呼ばれ、少々浮かれたのかもしれんな。……まるで、お前に家族と認めてもらえたようだったものだから」

そんな事を、低く悲しげにつぶやく男に、士郎は先ほどまでの憤りをそのままぶつけることなど、到底できず。
けれどそのまま黙って許してしまうこともできずに、拗ねたような声で小さな抗議をした。

「……俺達、兄弟じゃないだろ」
「ああ、そうだな」

同意するアーチャーの、その声色と表情に、士郎はアーチャーがやはり家族というものの繋がりに、特殊なこだわりと言葉に表せないような想いを抱いていることを確信する。
それは、もちろん彼にとっても大事なことで。先ほどの言葉を信じるなら、アーチャーが自分と家族でありたいと思っていることに他ならないから。

「俺たちは、マスターとサーヴァントで、同一人物だよな」
「ああ」
「けど、それだけじゃなくて、兄弟じゃなくたって、俺達は…………その、……     で、家族だろ」


言うやいなや、士郎は立ち上がり。

「や、やっぱり飯自分で片付ける!!」

そそくさと……いや、もはや全力で走りだし、自室を離脱した。
その走り去る後ろ姿を見つめながら、アーチャーは自分の顔が情けないほど笑み崩れているだろうとあたりをつけつつ、ゆっくりと立ち上がる。
――士郎に、実は先ほどの言葉の途中が小声すぎて聞こえなかった、と正直に話したら怒るだろうか。
彼がなんと言ったのかは、口の動きで想像がついているが、それでも聞こえなかったものは聞こえなかったのだから、きちんともう一度言葉にしてほしいものだ、などと少々意地の悪いことを考えつつ。

開け放された戸を後ろ手に閉めつつ、愛しい家族の後をゆっくりと追うことにした。

もっとも、アーチャーは先ほどの士郎の言葉を心から喜ばしくも思いつつも。

「兄貴呼びも、それはそれで心地よいのだがね」

……案外、そちらの呼ばれ方も本気で気に入っているということが、特殊なアレと紙一重なのは、士郎もアーチャー自身も未だ知らない。








兄貴呼びいいよねーという話をしていたのは覚えているのですが、この話をいつ書いたのか覚えていない罠。
案外かなり古いかもしれません。
アーチャーは士郎と兄弟とかそういう関係性は関係なく、ただそばにいれればいいかな的な発想で、士郎はちゃんと対等な●●同士で一緒にいたいと思っているということでファイナルアンサーで。

……でもきっとエロイことはするんだ、兄弟だろうと家族だろうと主従だろうと●●だろうと。なんという特殊プレイ。



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