槍弓 BY椎名
いつもと変わらぬ午後でした.。 1
話を進める為に、時間を少し遡ろう。
舞台は聖杯戦争真っ最中の冬木の街。
出歩く人も少ない、昼下がりの遠坂邸。
この家の主は何時も通り学校に行っており、留守番を言い渡されていたアーチャーは一通り家事を終わらせてしまうと、何をするでもなく取り合えず屋根の上に立って見張りを決め込んでいた。
一応今回の聖杯戦争のマスター達は比較的常識的な魔術師が多いのか、まだ明るいこの時間帯では目立った変動は見られない。
しかしこの時間でも、元気に動き回る困ったサーヴァントも居る訳で。
「……またお前か……」
うんざりと溜息混じりに呟いて、視線を向けるは屋根の反対側にしゃがみ込んでる青い奴。
「よ。遊びに来たー」
「帰れ暇人」
きっと手元に塩があったなら蒔いていたであろうアーチャーの対応に、ランサーはむすっと口元を尖らせる。
「そう言うなよー。別に戦いに来た訳じゃねぇし話するぐらいいいじゃねぇか」
「マスターとでも談笑していろたわけ」
「……それ俺のマスターが誰か知ったらきっと後悔するぜ」
実はアーチャー、分かってて言ってんじゃなかろうか、なんて疑念を抱きつつ、ランサーはひらひらと手を振った。
「そのマスターから昼間は事を起こすなって言いつけられてるんでな。まじでこの時間帯は暇んでお茶ぐらい飲ませてくれねぇ?」
ちょっとそれ取ってーとでも言うノリで実に軽い口調のランサー。
アーチャーはしばし目を細めてじとりとランサーを見据えていたが、やがて諦めた様に深く溜息を吐いた。
「……拒否しても帰らないつもりなのだろう? 一杯淹れてやるから飲んだら帰れ」
敵意のない客人にお茶を一杯振舞うぐらい罰は当たらないだろうと、アーチャーはランサーを室内へ招き入れる事にした。
まぁこうして主に内緒で邸内に入れてしまった事は初めてではなかったのだが。
「うーむ……」
小さく済んだ音を立てて、ティーカップをテーブルに置きつつランサーは小首を捻って唸った。
「何だ、口に合わなかったのなら飲まなくても構わんのだぞ?」
アーチャーはまだ台所で何やら準備中らしく、ランサーからは表情等は伺えなかったが、どうやら紅茶を口にしたランサーのこの反応が気になったらしい。
「いや、すんげー美味いんだけどよ、しかし……なんつうかなぁ、こんだけ紅茶淹れるのが上手い英霊ってのも訳分からないよなぁ……」
褒めてるんだか何だか良く分からないが、取りあえず感想の積もりらしかった。
「一応褒め言葉として受け取っておこうか」
言いつつ戻って来たアーチャーはちょっとだけ嬉しそうである。
その手にはクッキーと思しき焼き菓子が盛られた木製の小洒落た皿が一つ。
テーブルの上に置けば、小麦とバターの香ばしい香りがふわりと辺りに漂う。
「へぇ、旨そう」
言うなり一つ口に放り込むと、ランサーは満足そうに頷いた。
刻んだアーモンドを贅沢に練りこんだ生地をごつごつした形に焼き上げたクッキーは、シンプルながら絶妙な甘さと香ばしさに加え、さっくりと程良い歯ごたえである。
形が微妙に不揃いなのも手作りらしく愛着が持てた。
「これうめぇな。嬢ちゃんが焼いたのか?」
言いつつもう一つ。
「悪かったな。作ったのは私だ」
「ぶ」
予想外な応えに思わず噴出しそうになるのを堪えつつ、ランサーは皿の上のクッキーとそれを作ったと自称するアーチャーの顔を数度見比べてしいまった。
「お、お前が? クッキーを!?」
指差してまで言われ、機嫌を損ねたらしかった。
「ふん、まぁ言いたい事は分かっているがね。私の様な無骨者がクッキーを焼くなど似合わないにも程があると言うのだろうあぁそうだ私自身そう思っているから間違ってなどおらんぞ」
「おい」
「大体男の焼いたクッキーなど気味が悪くて食べる気もしないだろうよ。学校から帰った凛を労うのに良いかと思ったがとんだ検討違いだったな」
「おいお前な」
「いや、先に君に食べて貰って良かったよ。凛に不快な思いをさせずに済んだ」
「人の話を聞けこるぁ!」
たまらず立ち上がりずずぃっと身を乗り出したランサーの勢いに押されて、アーチャーは一先ず口を噤んだ。
「あのな、食いたくないなんて一言も言っちゃいねぇだろ。むしろお前の焼いたクッキーなんて食わないわけねぇだろうが」
びしぃ、と鼻先に指を突きつけてその辺のちんぴらさんよろしく肩をいからせて言うランサー。
さらりと乙女回路保持者ならばきゅんとしちゃうような事を言ってたりするのだが、生憎アーチャーはそんな物持ち合わせていないので、はて、と小首を傾げて
「そうなのか?」
とだけ言った。
「当たり前だろうが。分かれそんぐらい」
言ってがっくりと気落ちしそうなのを堪えて、また一枚クッキーを一つ齧る。
今度は先程よりもゆっくりと味わうように。
先刻までの陰鬱な表情が嘘の様に幸せオーラを撒き散らすランサーの様子を、アーチャーは何か不思議な物を見る様な目で見つめていた。
「何が良いのかさっぱり分からんが……」
ランサーは指先についたクッキーの粉をペロリと舐めつつ、アーチャーにふふん、と笑って見せた。
「そりゃぁな。思い人が焼いたクッキーなんて最高だろ?」
さて、さらっと思い人なんて言ってみたけどどういう反応するかと顔がニヤケそうなのを堪えていると、アーチャーは訳が分からないですオーラを撒き散らしてそれは深い溜息を吐いたのだった。
「思い人、な。君はなぜいつもそう恥ずかしい事を平然と言えるのだか」
言うアーチャーの表情はただただ呆れ顔で、そこからは恥じらいも照れも伺えない。
「俺にはそういう反応するお前が分からねぇ……」
じとり、とティーカップを啜るつつ上目遣いに睨み付けるランサー。
そう。一応彼は、何度もアーチャーに思いの丈を伝えて来たのだが。
どういうつもりなのか、アーチャーはこんなカラッカラの乾き切った受け答えしかしてはくれず。
もうだいぶ慣れたとは言え、やはりこういう態度ばかりでは少々凹んでしまうランサーな訳で。
「ならどういう反応をしろと。生娘よろしく照れてみればいいのか?」
皮肉たっぷりに言って口にしていたカップをかちゃりとソーサーに置きつつ、アーチャーはランサーが頷きながらクッキーを租借するのを満足そうに見やった。
ランサーとしては何だか面白くないのだが。
「こんな美味いクッキー焼けるくせによ。妙な所で意地張りやがる」
まぁこのクッキーの美味さに免じて許してやることにした。
何よりアーチャーの淹れた紅茶は、知ってか知らずかランサーが好むやや渋みが残るコクの良い物だ。
嫌でも和んでしまう香りに小さく満足の溜息を吐くと、アーチャーもふむ、と一口自分のカップを傾けた。
「前より少し濃い目に淹れてみたんだが、少し渋かったか?」
「いや、これぐらいのが好きだぜ?」
うん、と頷きつつ、ランサーはクッキーの粉の着いた指を軽く舐めとり紅茶をもう一口啜った。
クッキーの甘味と実に良く合っているのがなんとも憎い。
アーチャーの紅茶を口にするのは始めてではなかったが、回を重ねる事に自分好みになっていっているような気がした。
それにこうして毎回さりげなくお茶の感想を聞いて来る辺り、あれこれランサーのお茶の好みを探っている様だ。
「ならば良いのだが」
ランサーの言葉を疑っている訳ではないのだろうが、やや訝し気な視線を向けるアーチャー。
どうやらランサーがこの紅茶の味を気に入ったかどうか、思った以上に気にしていたらしい。
こういう所は、何とも可愛らしいし分りやすいとランサーは思ったりするのだが。
例えば。
「このクッキーさ、ひょっとしてオレがこないだなんか手料理食いたいって言ったからだったり?」
とか。
「……クッキーは手料理と言えるのか?」
否定はしないあたりは進歩と思っておこう。
「十分。むしろ感動したぜ?」
かり、と小気味良い音を立ててもう一枚クッキーを齧る。
ほんのりと甘く、ほどよいバターの香りは幾度も溜息を誘う。
そして心地よい溜息のついでに漏れた、別の溜息。
「いっつもそんぐらい素直でいてくれると嬉しいんだがなぁ」
ぽそ、と独り言の様な呟き。
実際ランサーからすればただの独り言だったのだろうが、その言葉にアーチャーはむ、と不満気に表情を変えた。
「何だ、私が普段素直ではないとでも?」
残念ながら自覚してる様子は皆無の様です。
「お前が素直だって言うなら世の中の大半は正直な善人だっつの。この捻くれ野郎」
「失敬だな。私はこれでも誠実に接している心算なのだがね」
抗議半分、皮肉を込めて抗議すれば、返されるのはそれ以上の皮肉な笑い。(当社費約3倍)
前言撤回。
確信犯の様である。
がくり、と脱力した次には、何やら言い知れぬ怒りでランサーはカップに唇を当てつつアーチャーを睨み付けた。
「そう言うんだったらいい加減キスぐらいさせてくれてもいいんじゃねぇの?」
半ばヤケになってドサクサ紛れに直談判してみれば、どうやら呆れられたらしくアーチャーは小さく溜息を吐いた。
「何度いったら分る。そんな事恐れ多くて出来る訳ないだろう」
さらっと言われたが、よく聞けば酷く矛盾した事を言っている事に当人は気付いてはいないようだった。
「恐れ多いってオマエな……」
使い方違うだろう、と確か日本人である筈の相手に日本語の使い方を突っ込む異国の大英雄。
だがこの場合、アーチャーに取ってはこの用法で間違ってはいないらしく。
「そうだろう、いい加減君は私がどれだけ君を敬愛しているのか分ったらどうかね」
「なんか言葉と態度と口調が一致してねぇんだけど!?」
嬉しいやら虚しいやら複雑な思いの絶叫はただ空しく。
そう。
これが最近ランサーを悩ませている原因。
愛しい思い人は彼の愛情も己の愛情も知っていながら、その手を触れる事すら良しとしないのだ。
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